給料とは何か

Chikirinの日記(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20081213)で賃金の議論が出てきている。またローソンの給料引き上げ(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130212-00000304-agora-bus_all)や仙台厚生病院のボーナス加算(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021501001485.html)の話なども出てきて、アベノミクスで給料がどう変化するか、関心が高いように思う。

そもそも給料とは何なのかというところで色々ブレがあるのでまとめると、

  1. 労働の対価
  2. 付加価値に対する対価
  3. 労働再生産のためのコスト

の3つの定義があるようである。1の労働の対価は働いた分は生産性にかかわらず給与を支払えという考え方。労働組合などはこういった考え方なのだろうか。バイトやパートの人など時給ベースの人にはこの考え方は適用できそうであるが、利益が出ない場合、経営が成り立たないので、定型的なワークなどマニュアル化できるものにしか適応出来ない。最低賃金などの規制がない場合は常に下方圧力が発生することが考えられる。

2の付加価値に対する対価、これはクリエイティブな仕事についているフリーランスやノマド、外資系の人のイメージがある。また多くのスタートアップの同じ考えであろう。自分が努力して付加価値を付け生産性を上げるとその分、自分の手元に残る分が増えることを意味し、給与というより報酬に近いイメージである。経営的にも入りがあり、出があるので問題なく周ることになるが、この場合、日々の生産性が一定でない場合や、さまざまな要因に於いて、給与が乱高下することになる。役員報酬などは定時定額の原則があり、バランスを取るのが難しいし、住民税や健康保険など前年度所得で決まる税金に対し、同じように乱高下をもたらす。

3は労働再生産のためのコスト、すなわち、明日も同じように働けるように必要な経費という考え方である。これは大手の起業や年功序列を保持している企業にある考え方で、Chikirinのブログにもあるように「給与は生活に必要な分が払われるべきです。」という考え方である。労働再生産のためのコストは、Chikirinのブログ「20才の若者と、僕みたいに妻と子と親とローンを抱えた50才では生活に必要なお金の額が全く違います。同じ仕事だからって同じ給与にされたんじゃ、たまりません。」という主張を生む。これは仕事ができても、できなくても必要な金は払えという主張である。労働再生産のためのコストは生産性や付加価値の有無とは関係が無いので、労働再生産コストが低いところへ移動することが可能であり、中国などの海外へ企業拠点が移動する原因になっている。

この3つの給料(賃金、報酬含む)が複雑に混ざった状態が日本の状態であるといえる。どれが一概にいいということは言えないが、ローソンや仙台厚生病院の給与の引き上げは、労働の対価でも無ければ、付加価値が何か急に上がったわけでもない、またまでインフレになっていないので労働の再生産のコストが上がったわけでもない。このような状態で引き上げることは経営的にミスであるといえる。

原資はおそらく内部留保から出すのだと思うが、内部留保は経営的な投資の一環として利用スべきものであり、投資の必要がない場合は株主に還元すべきお金である。

しかしながら人財への投資という考え方もあり、その場合は正当な経営行為なのかもしれない。人財への投資ということであれば、社員全員が英語を話すようになるための投資やITスキルアップへの投資など、給与でない方法で行うべきであると考える。

安易な給与アップは最終的にその会社の製品コストに上乗せされることになり、最終的に全体平均化されると意味の無いインフレになる。もしかしたらこのようなインフレを狙っているのかもしれない。この場合、成長のないインフレであり、給料も生活コストも等しく上がることを意味している。単純に通貨価値が変動するだけである。

通貨価値が変動した場合、100円を1円とするのがデノミであるが、効果としては100円が200円になるなど逆デノミ的な効果があるのではなかろうか。

その場合、損があるのは現在のデフレ効果で益を得ている、大企業や公務員の比較的高齢部分、年金高齢者などになるかもしれない。