森友学園問題に想う

最近の森友学園の問題でいろいろなことを考えてしまう。2012年に第2次安倍政権が発足し、現在では第4次安倍政権、7年目である。

そろそろいろいろと棚卸しをしたほうがよいのかもしれない。民主党政権はもうこりごりだという国民の思い、震災や原発事故で失われた国民の命、誇り、希望、国土、それらを回復するために付託した安倍政権であったが、一度見直す時期なのかもしれない。

Twitterを見ていると、右も左も必死に相手を攻撃している。インターネットの普及により情報が氾濫した結果、逆に見たい情報のみが強化されるようになり、多様性が失われているように思う。

右の人は、安倍総理や昭恵夫人は関与してないじゃないかと言う。そして今、安倍政権が倒れたら、株価も下がるし、中国や北朝鮮の脅威に抵抗できないと言う。

官僚が2人死に、籠池氏は半年以上も勾留が続いている。そして財務省の公文書改ざんである。これはどう見ても民主主義の危機であると思う。

日本は独裁国家でないのだから、三権分立の民主国家なのだから、今こそ政府、国会、司法は自分たちの役割を見つめ直し、国民に対して民主主義の姿を見せてほしいと思う。

その結果、安倍政権が倒れても、それが民主主義というものである。元々官製相場の株価が下がろうが、不景気になろうが、外敵の脅威があろうが、これは安倍政権を続けることと何ら関係ないのである。

関係があるとすればそれは国民一人ひとりであり、官製相場ではなく、一人ひとりが懸命に生産性を上げ、国は構造改革でそれを後押しし、国力を上げて日本の力を世界に平和的に示していくことが、外敵から日本を守る手段になろうかと思うのである。

左の人たちにも、単に感情的な憎しみではなく、安倍政権の成果を認めつつ、民主国家として正しくことに当たってもらいたいものである。

中国や北朝鮮のような独裁国家ではなく、韓国のように情治国家でもなく、日本は誇り高き民主国家であることを、内外に示してほしい。

少なくとも僕は国家の構成員の一人として、そのように振る舞っていきたい。